2021年6月20日  思い悩まない人生

聖書箇所 ルカ12:22~34

「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の財産を売り払って施しなさい。古びることのない財布を作り、尽きることのない宝を天に積みなさい。」ルカによる福音書12章31節~33節a

思い煩い

 今日の聖書箇所には、太文字で「思い煩うな」の下に(マタイ6:25-34,19-21)とあるのは、他の福音書に平行記事があることを現しています。これは4つの福音書だけにある特徴です。それぞれの聖書記者がイエス・キリストのことを書いているわけですから、同じ内容が多くあると同時に。それぞれ多少の違いがあります。ルカの32節と33節の前半はルカ特有の聖句です。ここにルカが伝えようとした「イエス様の福音のメッセージ」がある思います。今日はこの箇所を中心に、主の御言葉に聴きましょう。

 22節に思い煩うな、25節に思い煩ったから、26節に思い煩うのか、29節に思い悩むな。ここで4度も「思い煩うな」新共同訳では「思い悩むな」が繰り替えされています。私たちは、小さいことから世界のことにいたるまで、心配になり、思い煩うことなしには生きらない。という現実を映し出しています。

 この前のところの「愚かな金持ちの」たとえ話も、「思い煩い」に関係がある話しです。

16節から21節

 この金持ちの思い煩いは、将来の生活のために資金調達でした。そのためにもっと「作物をしまっておく場所がない」とまた思い巡らしたのです。彼は新しい倉を作って、食料を貯めました。「サアもう安心だ」と自分に言い聞かせます。そこで神は「今夜、お前の魂は取り去られる。将来のために用意した食料は誰の者になるのだ。」と告げます。ドイツの神学者であったボンヘッファーが「キリストに従う」という本の中で言っています。「思いわずらいが富を生むが、その富がまた新しい思いわずらいをつくりだすのである」と私たちには、何が将来のための「まこと」の備えであるのか。それが問題なのです。

 今、私たちはキリスト者は「貧困にある人々と共に生きる」としています。世界には食料とか着る服が無くて困っている人は多くいます。そして私たちもそれぞれがいろいろなことで悩んでいて、その悩みは、解決されても次々に繰り返し現れます。。

 先週のルカ10:41で主イエスは、マルタに向かって「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。」と言われました。思い煩いは、多くのことに気を遣って、心が分裂するこのとによって起こります。このようなとき「がんばれ」と励ますのではなく、イエス様は心の重荷(思いわずらい)を取り除いて安心感を与えることが大切であると言ってます。マリアはその安心の方を選び取ったといえます。

神様が養い、装ってくださる

 24節に出てくるカラスは私たちにとっては悪いイメージを与える鳥です。旧約聖書では汚れているので、食べてはいけないリストに入っています。イエス様は、みんなから嫌われているカラスさえ、神が養ってくださるではないか。と言っているのです。

 27節のイスラエルの野の花とは網走の原生花園とか、礼文島桃岩のお花畑などの砂地、岩地に咲く花のイメージに近いです。時期が来れば、一斉に咲きますが、あっという間に枯れてしまうこの花も、神様が装ってくださっているのです。

 だから私たちの、命も、体も神様が養い、装ってくださることを知りなさい。と強く言われています。23節で命も体も大切  それを作られたのは神だからです。あなたにとっても、神様にとっても極めて大切なのです。

29、30節

「だから、何を食べようか、何を着ようか………………」と

 異邦人とは、聖書の神様を未だ知らない人、まだ信じていない人、これから信じたいと思っている人は、自分で自分の命と体を養わなければならないと思っている人です。「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか、」と多くのことで悩んでいると言っています。あなたの周りの人は、どうでしょうか。

神様が備えていらっしゃる

 私たち、キリスト者は、私たちに命と体を装おう食べ物や衣服が必要なことをご存じであり、私たちを愛し、必要な時に必要なものを与えてくださる父なる神様がおられる事を知っています。私たちは十字架にお架かりになられたイエス様を信じて、神の子とされました。だから神様の愛を知ったので、自分の命と体を神様に安心して生きる事ができます。父なる神様に祈って、委ねると言うことをしたとき、思い煩いから解放されるのです。もちろん思い煩うことが無くなるのではありません。イエス様は私たちの思い煩い、目に見える現実にだけ囚われてしまい、見えるものしか見られなくなってしまう私たちのために、もっと広い世界に目を向けなさい。そして神様に心を向けなさいと言われます。

神が御国をくださる。

 イエス様は30節後半「これらのものがあなたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられる。」現実の生活で心をいっぱいにするのでなく、父なる神様に心を向け、祈る気持ちもつことです。それを続けると、自分にとって大切な者は何かと言うことも示されてきます。

32節

「小さな群れよ、恐れるな、あなたの父は喜んで神の国をくださる。」これは当時弟子たちのグループは本当に小さいグループを指しています。彼らは当時世界を支配していたローマ帝国のなかで、文字通りからし種一粒のような、無力でごく少数の群れでした。しかしここに、世界を180度変える、福音のメッセージが示されたのです。

 「父なる神様は、私たちに喜んで神の国を与えてくださいます。

33節読む

 教会に対し、神の国を求めることは、天に宝を積むことと同じです。弟子たちは自分の生活のことが未だ心をしめていたでしょう。ルカは「自分の財産を売って施しなさい。」は善い行いをしたら、天国でポイントが貯まって、神の国に入れるようになると言ってはいない。自分の財産、努力に地上のものに目を向けるのではなく、あなたを愛しあなたを選んだ父なる神はすべてを備えてくれるのだから、すべてを主に頼りなさい。そうすることで、尽きない天の富を積むことになると言っているのです。それが神の国の福音です。

 ですから、私たちの小さな群れだからといって、恐れることはないのです、父なる神を礼拝し崇め、あなたは、世界のすべての人々ために神は「神の支配される国を求め続けなさい」と言っているのです.ほんの小さいこの群れが世の光、世界の光として、神の栄光を輝かすことになるのです。神はそのことを私たちに期待して言われたのです。さあ目を上げて主を信頼し歩みましょう。